2022年3月26日
「勝負に出る」あなたへ
「勝負に出る」とは何なのか
何の話か?
いわゆる「アラサー」にいる自分の世代では、「勝負に出る」と表現して、何か挑戦をしたり、今までと違うことをする人が多くなってきた。
でもそもそも「勝負に出る」って何なんだろう。
前提
まず、そもそもの話として、物事に対して「勝ち・負け」は付けられるのだろうか?ということを考えると、それは個人的には明確に「ほぼすべてでYes」だと考えている。
人生というのは、一瞬一瞬の判断の繰り返しから成り立つものであり、その判断の一つ一つに実質的には「勝ち」も「負け」もある。
「あーあ、判断間違えたな」、という時もあれば、「よっしゃ、あの時ああしていて良かった」、という時もある、というのは多くの人が感じたことがあるのではないか。
日常の勝ち負け
例えば、お昼ごはんに何を食べるか?と考えたとき、コストを気にして牛丼で済ませるか、ちょっと奮発して焼き肉を食べるか、という選択がある。
この時、牛丼を食べて「おいしくて満足」と感じれば、コストも抑えられた上に満足できているので「勝ち」。逆に焼き肉を食べたものの、「今一つ物足りなかった」と感じれば、「負け」。といった具合の話をしている。
長期的な勝ち負け
牛丼と焼き肉の例は、言うなれば短期的な勝ち負けだが、実際はもっと長期的な視点での勝ち負けもある。
一番分かりやすいのは進路であったり、就職・転職・結婚であったり。明確に人生の分岐点となるところでの判断は長期的な勝ち負けを左右すると言っても良い。
勝ち負けを考える上で重要なこと
以上のような前提のもとで、「勝ち負け」を考える。人間というのは、基本的に「勝ち」を求めているものだと思う。
しかし、これらの例からもわかるように、勝ったか、負けたか、というのはあくまで各個人の感じ方によるところが大きいのだということを忘れないようにしたい。
つまり、どれだけ大きな失敗をしても、それを元に次のアクションに繋げられると判断すれば実質的には勝ちに持って行くことが出来る。 アクションというとちょっと大げさな感じがするけど、先ほどの例でいけば、こういう日は焼き肉より牛丼食べておいた方が良いんだな、とか、そういう自分なりの肌感を学習していくことができて、もう二度と失敗しないようになるなら、長い人生の中では勝ちと言える。それは失敗しない選択肢を選んだ場合には得られない経験なのだから。
失敗は成功のもと
「失敗は成功のもと」ということわざを、結構小さいころからよく親に言われていたものの、あまり深く考えていなかった。どちらかというと、失敗したときのフォローワード、くらいの感覚だった。
しかし、最近になって、何か後悔のきっかけがあったら、即座にこのことわざが出てくるようになった。
だから、「失敗を責めない」、まあ、多少は責めたほうがいいかもしれないけど「責めすぎない」というのは大事なことだという話にも繋がる。
昨今の懸念
で、ここまで割と当たり前のことをつらつらと書いているような感もあるけど、なぜわざわざそれをここに書いたかというと、最近は、SNSやらニュースのコメント欄やらで、ちょっとした失敗に対しての過剰な叱責があまりにも目立ちすぎているのを個人的には強く懸念している。
どんな人も、大きい失敗・小さい失敗、色んな失敗をすると思う。中には責任がつきまとう失敗もある。もちろん責任はしっかり果たさないといけないとは思う。
良くも悪くも、昔の、発信できる人間が限られていたときは、叱責の質はともかく量に関しては抑えられていたのに、最近はすっかり誰も彼もが発信をするようになって、良いことも沢山あったけど、あまりにも空間に負の感情が渦巻きやすくなりすぎている。
これは、SNSから長いこと離れてしまった原因でもあるのかな、と思う。「情報との付き合い方」は誰も教えてくれないし、そもそも時代とともにすぐに変わってゆく。正解など確立されるわけもない。
たとえばTwitterの「ブロック」なんて機能、最初に出てきたときは、「なんていかつい機能なんだ」と感じていたのに、今の自分からすると、ストレスの源になるならあまり気にせずブロックしたほうがいい、と断言できてしまう。
それくらい、発信者の数は膨大となった。スマホさえ手に入れれば、誰でも発信できる時代になった。なんならそのスマホも、1・2万円出せば手に入るという本当にすごい時代になった。
リアルとバーチャルの感覚整合
だからこそ、インターネット上では、何を言われても、あまり気にしなくても良い、というか、気にしていても仕方が無い時がある。
現実世界で、ちょっと話が噛み合わない、と思った人とは距離を置くのと同じ感覚くらいに自分の中で感覚の整合をとっておきたい。
厄介なのは、それで「届いていない」と判断されたときのこと。意見が届いていないと気付くと、躍起になって届けようとする人たちというのも一定数存在する。
主に著名人が過激な発言をしたり、不祥事を起こすとすぐこういったことが起きるが、実力のある著名人であればあるほど、慣れもあってうまく「気にしない」でいるのではないかと思う。そういう人に対して躍起になっても仕方が無い、ということに気付いているのかいないのか、投げている側はただの憂さ晴らしになっているという光景もよく見るようになった。
結論
だから、「勝負に出る」と決めたなら、何を言われても、どういう結果になっても、それを自分なりの「勝ち」に昇華する、ということを肝に銘じた上で、行動に移すようにしなくてはならない。
良い意味で、他人の目を気にしすぎないことも極めて重要な時代になってきているから、だからこそ、何があっても、自分の軸・芯に照らし合わせて次の行動に移していかないといけない。そして、自分自身や身の周りの人間がきちんと幸せになることを大切にしよう。
というわけで、久々の個人サイトをこの一粒万倍日・寅の日・天赦日の3/26 に開始する。
こういった考え方や雑記のためのnoteも併設した。基本的に内容は一緒の予定。
どこまで続くか分からないが、このような記事も週1くらいでは更新したい。意外とふとした瞬間に思うこともあるので、定期的に更新していければ、と思っている。
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