2023年1月06日
リブート: 今年のテーマは自由の獲得
2023年が始まってしまった
失われた3年間
表題のとおり、2023年が始まってしまった。
かれこれしているうちに2020・2021・2022 とコロナ・コロナ・コロナで3年も失ってしまったことになる。
3年というとなかなかのもので、2020年4月当時高1だった子は、この3月で卒業してしまうことになる。他人事ながらなんて高校時代だ、と思う。
まあ、だからといってめっちゃ悲観的かというと、それはそれで楽しかったよね、とか、そんな感じで適当に思い出補正がかかっていくのも人間の凄いところで。
実際、この3年はなかなかに散々な日々を過ごしていたが、結局自分の中ではそれはそれで必要だったよね、みたいな感じで昇華(消化?)されている。
明日生きられることが当たり前と思うな
突然の話にはなるけど、明日生きられる確率ってどれくらいなのだろうか。
S3の耐久性は皆さんご存じの通りイレブンナイン 99.999999999%(確認しながらだと打つのに時間がかかる)と言っているけど(ちなみに可用性は99.9%でイレブンナインではない)
もし仮に明日死ぬ確率がイレブンナインだとした場合、1年間を生き抜ける確率はというと、99.9999996%くらいらしい。ナインの数が8個に減った…
50年だと?99.99998%くらい。あんまり減らない。これはちょっと現実味がないな。 つまり、明日生きられる確率なんて、S3の耐久性以下だということになる。
新年早々意味のわからない計算ばかり計算機に投げ、なんだかよくわからない例えを持ち出しているわけだけれども、なんで急にこんなことを言い出しているかというと、実は昨年末に実家の犬が急死した。
赤血球が赤血球を攻撃する病気らしく、本当にあっという間だった。日曜日は元気そうにしてたのに、月曜日にはぐったりしていて、そのまま輸血やらなんやらやってくれたけど、木曜日には死んでしまったということを聞いた。
まあだいたいペットは家族とはいえしんみりムードは1日くらいだったけど、それよりも、世の中には急死というパターンがあるという事実を突きつけられた感覚があった。
だからといって、よくある「全力で生きろ」とかそういうことに繋がるほど自分は熱い男ではないけど、もう少し噛みしめていったほうがいいな、とは思った。あと、伝えるべきことは、伝えられるうちに伝えた方が良い、とかそういうことも感じた年末だった…
悔いの無いように…
そんなこんなで、明日死ぬかもしれないというのを肝に銘じる1年にしたい。
わがままも言った方が良いに決まってる。なので今年は多少なりともわがままに生きる。やりたいように、やりたいことをやる。
この世は等価交換。カネを貰えば労働を提供し、金を払えば欲しいものが買える、うまいメシが食える、そういう基本に立ち返ることが必要。等価交換でない奉仕は自分を滅ぼす。もちろん価値のあるものには寄付もする。 ただ、自分にとって負担になるものからは一個一個足を洗って自由を獲得する。負担になるということは、それは自分にとって等価交換ではないと身体が判断しているということでもある。
20代は他人に優しくし過ぎた。他人に振りまく優しさこそ適量でありたい。
と、なんか最後まくし立てるように俺は自由に生きてやるぜ宣言をしているが、決して優しくしないわけではないので、本年も何卒よろしくお願いします。
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